行方不明になる私

白道燃ゆ

 医学の進歩はめざましい。万能細胞の研究で、人工臓器の移植も夢ではなくなった。若し、このような人体の組織移植が、自由に適用されるようになったら、実に面白いことになろう。
 心臓患者は、障害のある心臓を、あれこれと治療することを止めて、心臓銀行から新品の心臓を買い求めて、手術によって取りかえて、再び元気をとりもどすことができるであろう。
 胃腸の悪い人も、新しい人工胃腸と交換して丈夫になれる。手足が動かなくなればこれまた新品の人工手足と取りかえる。
 勿論、にごった血液は、清浄な血液と全部入れかえもできる、といった具合に、丁度、機械の部品が故障を起こすと、新品に取り替えられたり、補強されたりするようになるかも知れない。
 さて、そのようになった場合、一体、生来の私というものはどうなるのか、ということが問題になる。
 肉体の総てが、全く入れ替わってしまった時でも、私という根源的主体性というものには、全然、影響が及ばないのか。
 肉体は他人であって、意識は依然として私である、という面白いことがおきる。総ての肉体が変わっても、私そのものは変わらないとすれば、その私とは一体何者なのであろうか。
 これは決して、夢のような未来の医学を仮定しての問題ではない。
 すでに、我々の肉体の総ては、約60兆の細胞からできていることは、周知のことである。丁度、巨大なビルが小さなレンガの積み重ねによってできているように、我々の肉体も細胞の集積に外ならない。
 しかもその細胞は、たえず新陳代謝して、凡そ7年間で全部入れ替わる、と言われている。
 故に、7年前の私と、7年後の私とは、物質的には全然別人ということである。
 然るに実際は、別人の感じはなく、やはり同一人であることに、間違いはないのである。
 してみれば、7年前の自分と、今の自分との間には、物質以外に何か一貫して変わらないものがあると思わなければならない。
 これを統一的主体と言われる。
「いくら年をとっても、気だけは若い感じがする」と老人は言う。
 統一的主体としての自己があって、それは肉体の老化と関係なく、永遠の青年であるからである。
 これを仏教では、永遠に亡びない生命の流れ、阿頼耶識と教えている。
 これが明らかにならなければ、私が行方不明になる。

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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