(80)あわれむ心のないものは恵まれない
試された親切心
お釈迦さまが、ある家へ乞食の姿で現れ、一飯をこわれた。
「私の家には、夫婦の食べるものしか炊いていない」
出てきた主婦は冷たくあしらう。
「それでは、お茶を一杯、恵んでくださいませんか」
「乞食が、お茶などもったいない。水で上等だ」
「それでは私は動けないので、水を一杯、くんでくださいませんか」
「乞食の分際で、他人を使うとは何事だ。前の川に水はいくらでも流れているから自分で飲め」
釈迦は、忽然と姿を現し、
「なんと無慈悲な人だろう。一飯を恵んでくれたら、この鉄鉢に金を一杯あげるはずだった。お茶を恵んでくれたら、銀を一杯あげるはずだった。水をくんでくれる親切があったら、錫を一杯あげるつもりであったが、なんの親切心もない。それでは幸福は報うてはきませんよ」
「ああ、あなたはお釈迦さまでしたか。さしあげます、さしあげます」
「いやいや、利益をめあてにする施しには、毒がまじっているからいただかない」
と、おっしゃって帰られた。
帰宅して、一部始終をきいた主人は、
「おまえはばかなやつだ。なぜ一杯のメシをやらなかったのだ。金が一杯もらえたのに」
「それがわかっていれば、十杯でもやりますよ」
「よしそれなら、おれが金とかえてもらおう」
と、お釈迦さまの後を追った。
へとへとになったところで、道が左右に分かれている。
ちょうど、道ばたにうずくまっている乞食がいるので、
「乞食、ここをお釈迦さまが、お通りにならなかったか」
「ちっとも知りませんが……私は空腹で動けません。なにか食べ物を恵んでくださいませんか」
「おれは、おまえに恵みにきたのではない。金をえるためにきたのだ」
そのとき、釈迦は変身なされ、
「妻も妻なら夫も夫、あわれむ心のないものは恵まれないのだ」
「あなたがお釈迦さまでしたか。あなたにさしあげるためにきたのです」
「いいえ、名誉や利益のための施しには、毒がまじっているからいただくまい」
厳然とおっしゃって、釈迦は立ち去られた。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)