(70)牛糞を食わされた祈祷師
~迷信を招く心の闇
恵まれた3人の子供がみな女の子で、なんとか男がほしい夫婦があった。
妊娠したが、おまえは女腹と夫に言われて悲観していた矢先、ふと訪ねてきた男が、
「奥さま、今度は男と思われますか、女と思われますか」
と妙なことをきく。
「そんなことはわかりません」
「では、どちらを」
「今度はぜひとも男の子」
正直に告白すると、
「私は神さまのお力をえている。おきのどくだが、今度も女のお子さんです」
と、言いはなつ。
あまり見すかした言い分に、
「本当に、そんなことが」
と乗り出した。
「もちろん、わかります。しかし今のうちに、神さまにおすがりすれば、男に変わらぬでもない。ご希望ならば祈祷しましょう」
と、つりこまれてゆく。
「でも……祈祷料は、たいへんでしょう」
「人助けの私、金など問題ではない。しかし神さまには、1回5千円のお礼を。だいたい、4、5回ですみましょう」
半信半疑で、たいした金でもないし、夫も喜ぶことだからと、だれにもないしょで祈祷をたのんだ。いよいよ満願の日、いつものように夫の出勤後、祈祷師がやってきた。
ところが、忘れ物で途中で帰宅した夫、見かけぬ男が妻の腹の上に御幣をのせて、一心に呪文のようなものをとなえているので驚いた。
妻のうちあけ話を、黙って聞いていた夫は、男に一礼してから、ちょっと外出するといって、まんじゅうのアンをぬいて牛糞をつめて帰ってきた。
「これでも、どうぞ」
のもてなしに、どんな大波乱が、と案じていた男、ホッとしてか、まんじゅうをガブリとほおばった。
思いきり牛糞を食わされて激怒する祈祷師を、
「まんじゅうのカワ一枚中さえ、わからなかったのか」
と夫婦はともに笑った。男はコソコソと逃げ去った。
たわいない迷信におかされるのは、心に光のない悲しさである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)