(65)猫よりも恩知らずは、だれだ
~腹立てぬ秘訣~
過去世にどんな因縁があったのか、生来私は、犬や猫が好きである。
あれは何代目の猫であったろうか。
きれいでりこうな三毛猫で、マルと呼んでいた。
出かけるときは、いつも送ってくれるし、帰宅のときは足音で、玄関に迎えてくれる。
とくに私は、この猫をかわいがっていた。
ところが講演から帰った寒い日の夕方、玄関には、いつものようにマルの姿が見られない。
案じながら家へ入ると、こたつの上で丸くなっている。
私の声をきいても、いっこうに動かない。
「今日は朝から、こたつから離れないのですよ」
と家族が言う。
“またやられたか”
とっさに私は心配になってきた。
過去に何匹か、ネコイラズかなにかの毒物を食べてきて、終日苦しみ、血を吐いて死んだ。
私はそのつど、懸命にみてやり、悲しんだことがあったからである。
着替えもせずに私は、マルの大好物のニボシをつまんで、鼻先へ持っていった。
なにか毒物を食べていれば、どんな好物にも見むきもしない。
ところがどうか。
ウウ……と一声うなったと思うや、ガブリときたのだ。
同時に、あの鋭い牙が、私の指先を、グサリ貫いた。
あっという間の出来事である。
噴き出す鮮血を見たとたん、全身の血液が頭にのぼったのがわかった。
「おのれ!! 畜生、なにをする」
かわいさあまって憎さ百倍、赤鬼と化した私は、猫の胴と頭をつかんで絞め殺そうと、両手をかけた。その瞬間、
「猫よりも恩知らずの畜生は、おまえではないか」
の声なき声に驚いて、思わず合掌せずにおれなかったことがある。
あれくらいのことで、“なぜ”、“あんなに”、と反省する。
「これだけ、かわいがってやっているのに」
「これだけ、心配してやっているのに」
「やっている」の、恩きせ心に、怒りの原因があったと知らされた。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)