(67)やめよ!やめよ!と突然、早雲は叫んだ
~なりきる尊さ~
相模国、小田原の城主であった北条早雲は、琵琶をきくのが大好きであった。
あるとき、琵琶法師を呼んで『平家物語』をきいた。
物語が進んで、那須与一が、扇の的を射るところにいたると、早雲の顔は感激に紅潮し、心身はうちふるえた。
いよいよ佳境に入り、
「さて与一が弓を満月のごとく引きしぼり、扇の的に狙いを定め……」
と琵琶法師が言ったとき、突然、
「やめよ! やめよ!」
早雲は叫んだ。
そしてついに、やめさせてしまった。
今まで熱中して、きき入っていた武士や女中たちは、一番おもしろいところでやめられたので、どうしたわけかといぶかった。
早雲は、そのとき、
「おまえたちは、あのときの与一の身になってきくがよい。与一は、扇の的がはずれたら、源氏の恥辱はもちろん、武士の面目のために、その場で切腹して、相果てる覚悟であったのだ。今、弓を射ようとしてジーッと的を狙っている与一の、その気持ちが、よくわかるから、聞いてはおれないのだ」
と述懐したという。
何事も、それになりきることが大切である。
北条早雲がつくった21カ条の家訓は、戦国大名の家訓となったのも、よくよく首肯される。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)