(64)人を身なりで判断はできない
~一休と門番~
かの禅僧・一休が、京都の富豪から法要の招待をうけていた。
前日に、たまたま前を通ったので、ちょっと立ち寄ると、一休の顔を知らない門番は、こわい顔してどなりつけた。
「これこれ乞食坊主、物がほしいならウラから入れ」
「いやいやオレはちょっと、この家の主人に会いたいのだ」
「バカなことを言うな。おまえのような乞食に、この大家のご主人が会われると思うのか」
みすぼらしい身なりから、てっきり乞食坊主と思っている。
「おまえは門番だろう。客人を案内するのが役目ではないか。面会したい者がいると告げたらよい」
「なにを、なまいきなことをぬかすやつ」
激昂した門番に、たたきだされた一休。翌日、紫の法衣を身にまとい、お弟子を連れて門前に立つと、昨日の門番も、神妙に頭をさげて迎えている。
「ご主人、昨日は、たいへんご馳走になってのう」
奥座敷に通された一休は、ニヤリと言う。
「へえ、昨日、お立ち寄りくださいましたか」
「ちょっと用件があってのう。主人に会いたいと言ったら、乞食坊主にご主人が会われるかって、追いだされましてなあ」
「それはそれは、知らなかったとはいえ、ご無礼いたしました。どうしてまた、そのとき、あなたさまのお名前を、おっしゃってくださらなかったのでしょう」
平身低頭する主人に、紫の法衣を脱ぎすてた一休。
「この一休には、なんの価値もない。紫の法衣に価値があるのだから、この法衣に、お経を読んでもらったらよかろう」
法衣を置いてサッサと帰っていったという。
人は、決して身なりで判断してはならない。
身なりなんかで、人間の価値がわかるものではないのだから。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)