(61)施した恩は思ってはならぬ。
受けた恩は忘れてはならない
シラーの名作、ヴィルヘルム・テルの芝居に、こういう場面がある。
テルがある山陰で、仇敵の間柄である悪代官の危ないところを救助する。
帰宅してそれを、得意そうにテルは妻に話した。
「あの代官も今日からは、おれの恩に感じて態度を改めるだろう」
ところが妻は、
「それはとんでもないこと。これからいっそう、彼はあなたを、けむたく思い、反感をつのらせるでしょう」
と、忠告するのである。
親切の貸方勘定を、こっちばかり得意になって、勝手な胸算用している間に、先方は、返しきれない借方勘定に業腹を立て、かえって、こちらに反感を抱くことはよくあることだ。
金を貸してもらいながら、ともすると債権者を恨みがちになるのは、債務者気質の常である。
だからといって、親切無用ということではもちろんない。
善因善果、悪因悪果、自因自果は宇宙の真理。
善果は善い因まかねば現れないが、その心がけが問題なのである。
舌切雀のじいさんは、かわいさ一心で探し求めた雀だから、会っただけで満足し、ほかになんの要求もなかった。
おじいさんの慈悲に感応して雀は、大小のつづらを、みやげに差しだすが、老の身を考え、じいさんは、軽いつづらを選んで持ち帰る。
中は金銀財宝で満ちていた。
一方、“私が養うてやったのだ”と思って出かけた、ばあさんの目的は、雀をなぐさめることではなく宝物である。
だから出された大小のつづらでも、無理しても、大きな重いほうを選んで帰ってくる。
そこには、不純な心が、化け物となっているのである。
お互いに求める心がなくして、人に尽くすことができたら、どんなに楽しいことだろう。
施した恩は思ってはならぬ。受けた恩は忘れてはならない。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)