(62)この娘を美しくないという者があれば、
金子千両を出してやろう ~美人の必須条件~
昔、インドに、摩訶密(まかみつ)という富豪がいた。
その娘は絶世の美女と、もてはやされるだけあって、見るからに美しかった。
摩訶密も、この美貌の娘が、なによりのご自慢で、いつも娘を同伴し、
「この娘を、美しくないという者があれば、金子千両を出してやろう」
とまで放言する始末。
摩訶密が誇るように、実際、娘の顔や姿態が美しかったので、男といわず、女といわず、ひとめぼれせぬ者はいなかった。
得意な摩訶密は、とほうもないことを、そこで考える。
「おれの娘は、だれに見せても感心せぬものはいない。ひとつ、出家の釈迦に見せてやりたいものだ」
摩訶密は娘を同伴して、お釈迦さまの所へ出かけていった。
娘をごらんになったお釈迦さまは、静かにこう仰せになっている。
「この女を私は、少しも美しいとは思わない。なるほど、容貌は、いかにも美しい。しかし人間には、もっともっと美しいものがある。それは心の美しさだ。心の端正こそ真実の美である」
容貌が美しくなりたいというのが、すべての女性の念願だろう。
けれども真の美しさは、顔や姿態にあるのではない。
釈迦の仰せられるとおり、まことに人の美しさは、その人の心にある。
秋空のようにすみきった清浄な心こそ、まことの美人の必須条件であり、男女を問わず養うべきは、心の美である。
さすがの富豪も、さとるところがあったという。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)