(75)世界一おいしいご馳走ができあがりました、
と料理人は言った
“世界一おいしい、料理が食べたい”
昔、ある王様がこう言って、国中の料理人を召集した。
王宮で常に、食の贅を極めているので、どの料理も、おいしいとは思えない。
「へたなやつばかりだ。もっと上手な料理人を探しだせ」
側近が困惑していると、
「私が世界一の料理人でございます」
と、申しでた者がいた。
「余の満足する料理が作れるか」
「おそれながら、それには、私の言うことをお守りいただかねばなりませぬ」
「おもしろいことを言うやつじゃ。守ってやるから作ってみよ」
王様も、意地になって承諾する。
それから3日間、昼夜、王様のそばを離れず、ジッとしているだけだった。
「いつ、料理を作るのじゃ」
「はい。そのうちに、必ずお作りいたします」
3日目にもなると、空腹でヘトヘトの王様に、粗末な野菜料理が運ばれた。
「さあ。お約束どおり、世界一おいしいご馳走ができあがりました。十分にお召し上がりくださいませ」
むさぼるように、それをたいらげてから、王様は言った。
「こんなおいしいものを食べたことがない。なにを、どんなに料理したのか」
料理人はそのとき、こう答えたという。
「料理の上手は飢えにあります。空腹で召し上がるものが、一番の、ご馳走でございます」
“おいしい”と感ずるのは、飢えという苦しみの軽減されてゆく過程である。
飢えの苦のないところに、おいしいという楽しみは、ありえないのだ。
人生もまた同じ。苦しみから逃げまわって生きようとする者は、絶対に楽しみを味わうことができない。
意気地なしや卑怯者と、真の幸福は、無縁のものなのだ。
楽の元は苦、といわれるではないか。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)