流刑の真因は何か

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 浄土真宗の祖師、親鸞聖人は、三十五歳の時、住みなれた京都から追放され、越後へ罪人として流刑になったことは、天下周知の事実である。

 しからば、その理由は何であったのか。
 流刑に遭われた、真の原因は何か。

 親鸞聖人のみ教えを、絶対不二の妙法と尊崇する我々真宗人にとっては、これは、極めて重要な問題である。

 多くの人々は、肉食妻帯して破戒されたが為である、と思っている。
 しかしそれだけでは、腑におちないことがいくつも出てくる。
 親鸞聖人以前の僧侶にも、妻帯していた者は、いくらでもあった事実があるからである。

 奈良時代には三車法師というものがあった。一の車には自分が乗り、二の車には子供を乗せ、三の車には女を乗せて歩いたものである。
 これらは特異な例としても、その他にも妻帯していた僧侶がいた記録が残っている。近くは親鸞聖人の法兄であった聖覚法印にも、公然たる妻子があった。当時「かくすは上人、せぬは仏」という言葉が流行していたことを知っても、如何に僧侶達の妻帯が、公然の秘密であったかが分かるであろう。

 しかし、それらの僧侶達は、親鸞聖人のような激しい非難も、迫害も受けていない。聖覚法印などは、相変わらず朝廷や、その他へ自由に出入りして「濁世の富楼那」とまでいわれている。

 また、親鸞聖人の流刑の原因が、肉食妻帯とするならば、一生不犯の法然上人の流刑はあり得ないことになる。
 法然上人も親鸞聖人と同時に、四国の土佐へ流刑になっているからである。

 かかる種々な点から考察しても、聖人の流刑の原因は、肉食妻帯ではなかったことが知らされる。

 勿論、聖人の妻帯は正式の、公然たるものであったという点は、他と大いに異なる意義があったが、少なくとも、流刑の最大の理由ではなかった。

 では、親鸞聖人流刑の決定的原因は、一体、何であったのであろうか。
 正しくそれは、「一向専念、無量寿仏」の高調にあった。

「一向専念、無量寿仏」は、釈尊出世の本懐経たる『大無量寿経』の、結びをあらわす仏語である。
 釈尊一代の教説の結論は「一切の人々は、阿弥陀仏一仏に向かい、阿弥陀仏一仏を信じ仰がねば、絶対に助からない」という、釈尊の大宣言であった。
 この釈尊の大精神を無我に体験し、身命を賭して伝承されたのが、親鸞聖人の御一生であった。

 阿弥陀仏以外の一切の諸仏、諸菩薩、諸神に、近よるな、礼拝するな、信ずるな、弥陀一仏に向かえと叫べば、それらを礼拝し信じていた人々から猛烈な反感、非難、攻撃、迫害が起きるのは至極当然であった。

 しかし、大衆の幸福を念じ、真実の開顕を全生命となされた親鸞聖人には、人倫の哢言などは眼中にはなかった。
 それどころか「これなお師教の恩致なり」と、自身の生命の危機すら、有り難い人界受生の本懐として、慶ばずにおれなかったのである。

 若し、九条関白の、はからいがなければ、親鸞聖人は三十五歳で死刑になっていられたのである。

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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