自覚症状なき病人

白道燃ゆ

 どんな人間でも、いくら前科のある者でも、どこか少し位は、いいところがあると自惚れているものだ。

 いわんや、自分が悪いと恥じる気持ちぐらいは、持っていると思っているが、実は、とんでもない錯覚なのだ。

 蓮如上人が吉崎御坊に滞在中、遠国より、はるばる訪ねてきた人が、

「私は、まことに浅間しい極悪人でございますが、こんな者でも助かる道があったら教えて下さい」

と申し出た時、

「悪人を悪人と知らぬ者こそ本当の悪人だ。我が身は悪人じゃと分かっているそなたは、殊に勝れた善人さまじゃ。蓮如は悪人の教導は申しつけられているが、善人の教導はすることはできぬ」

と、突っぱねていられる。

 俄か雨に遭って狼狽している人を見て喜び、犬に吠えられて困っている人を見て笑っている。盛装した美人が自動車の跳ねた泥水で衣裳を汚して泣いているのを見て、内心ほくそ笑み、よその火事は大きければさえ面白い。向こう岸の火事を見て笑う者はいるが、泣く者はない。早く鎮火すると「はや消えたのか」と内心落胆する始末。

 それでいて、一から十まで、十から百まで、思うことも言うことも、自分中心に自分を買い被り、ほめて貰いたい一心で、他人に知られたい根性よりない奴。

 こんな奴をと言っていながら自惚れている根性玉。微塵に砕かれても足りない悪性。熱鉄の湯を飲まされても、文句の言えない鬼性。大地にひれ伏して詫びても足りない蛇性。人を人とも思わず、親を親とも思わぬ無分別な心。悪を悪とも思わず、業を業とも感じないど根性。

 地獄と聞いても驚かず、極楽と聞いても喜ばない、しぶとい根性。ただ、食いたい、飲みたい、楽がしたい、ねむたいより心の動かぬ奴。

 ここまで照らしぬかれた親鸞聖人は、最早「罪悪深重」だとか、「煩悩具足」とか「極悪人」とかいう、生やさしい程度を越えて「無慚無愧の極悪人」というより、言いようがなかったのだ。

 ただの極悪人でなく、その極悪人だということを自分にも他人にも恥じる心すらない、ドン底の自分が照らし出されると、さかしらな善悪の議論はできない。

 道徳も倫理も法律も、言葉はあっても意味がなくなる。

「是非知らず邪正もわかぬこの身なり、小慈小悲もなけれども、名利に人師を好むなり」

とか

「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」

の聖人のお言葉ほど悲痛なものはない。

「いずれの行も及び難ければ、とても地獄は一定すみかぞかし」

 一切の出離の縁は絶え果てるのだ。

 弥陀五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、偏に我一人の為であった、の大歓喜はこの地獄の釜底でなければ体験できない。

 

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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