あとがき|親鸞聖人の花びら
あとがき
生死の苦海ほとりなし
ひさしく沈めるわれらをば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける(高僧和讃)
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし(恩徳讃)
幾億兆年もの過去から、闇黒の苦海に沈みきったわれらを、大悲の願船に救い上げ、光明の広海に浮かばせたもうた弥陀如来の大恩と、その願船を指授したもうた師主知識の深恩は、身を粉に骨砕きても相済むものではありませぬ。受けし恩徳が無量だから、返す報謝は終わることなしと言われるのです。
聖人の「恩徳讃」の真情を知れば、弥陀の救いがいかに不可称不可説不可思議で、どれほど広大無辺かが知られます。
もし弥陀の救いが死後ならば、この「恩徳讃」はあり得ません。
世に粉骨砕身の形容詞はありますが、不治の難病を治してもらえば深い感謝はありましょうが、この身、砕け散ろうともとは思えません。
鬼神も三舎を避ける聖人90年の「恩徳讃」は、全く形容詞ではありませんでした。
聖人の生きられた平安末期から鎌倉初期は、源平の合戦や干ばつの大飢饉で天下は麻のごとく乱れ、養和の都の死者は4万3千人を超えたと『方丈記』は記します。
かかる不穏な社会情勢の中、仏意を鮮明にせんがために聖人は、破天荒な肉食妻帯を断行して大波乱を巻き起こし、孤立を覚悟で法友たちと大論争なされて、内外ともに非難の的でした。
権力者からは越後流刑の弾圧を受け、晩年は吾子・善鸞の義絶事件など、まさに波瀾万丈の生涯でありました。かかる、たくましき生きざまは、どこから生じたのか。
聖人をかくも雄々しく前進させたのは、利害得失でもなければ名聞利養でもありませんでした。
「誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず」(親鸞聖人)
ひとえに如来大悲の恩徳に感泣し、じっとしていられぬ衆生済度の報恩行でありました。
自然災害や政治の混乱など、火宅無常の世界は混迷の度を深め、先行き不透明な今日、激動の時代を勇猛果敢に生き抜かれた聖人の、あのたくましい信念の源泉は何か。
確固たる人生の指針を求め、聖人直の熱いメッセージを望む声が高まっています。
あたかも親鸞聖人750回忌。
テレビや新聞でも特集が組まれ、一層注目が集まっている秋、寺宝や国宝の観光で終わっては、もったいなき勝縁を失うことになりましょう。
切実な有縁の人々の願望に応え、聖人の御声と生きざまの一端なりとも知っていただきたい一心が、この116のQ&Aなのです。
本書を手に取られた読者諸賢が、親鸞聖人に一歩なりとも親近され、ただのひとつでも知られたら、こんな喜びはありません。
最後に、浄土に還られても止むことのなかった聖人の、「恩徳讃」の精神を記して「あとがき」にしたいと思います。
我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり(御臨末の書)
「まもなく私の、今生は終わるであろう。
一度は弥陀の浄土へ還るけれども、寄せては返す波のように、すぐに戻って来るからな。一人いるときは二人、二人のときは三人と思ってくだされ。嬉しいときも悲しいときも、決してあなたは、一人ではないのだよ。いつも側に親鸞がいるからね」
合掌
平成23年 初秋
著者識す