なぜ本願寺を出たのか
(浄土真宗親鸞会 結成の目的)
親鸞会の結成を見て、なぜ本願寺の中で、その改革をしないのかと非難する人もありました。
当初は私もその方針で努力してはみましたが、1人や2人の者がいかに必死になってみたところで、所詮は無駄な抵抗にすぎないことを知りました。
老朽な大船の底には、すでに修復不可能な大穴が幾つも開いていた。
それだけではない。船内は臭気が充満し、窒息の危機にさらされておりました。
これが東西本願寺をはじめとする真宗十派の悲しい実態でありました。
古今東西、教団改革など成就したためしは、ただの1度もありません。
教団内にあって造反、改革に真実の気勢をあげるくらいなら、苦しくても外に飛び出して、真実開顕にそのエネルギーとファイトを費すべきであると決意したのであります。
親鸞会は決して我執をつのるものでもなければ、名利のために行動しているのでもありません。
ただひたすらに真宗の危機は全人類の危機と受け止め、いかにすれば釈尊や親鸞聖人の本当の教えを鮮明にすることができるのかと、孤軍奮闘しているのです。