厳しく心見つめる
因果の道理は、何度お聞きしても、「もっとお聞きしたい」「分かっているようで少しも分かっていない心に、何が何でも分からせたい」という思いになります。
世間では、口と体の行いばかり問題にしますが、仏法では、その口や体を動かしている心を最も重視され、聞かせていただくほど厳しさを知らされます。
他人に言えないことばかり思い、心を問題にされたら逃げ場はありません。しかも、そのような自分を少しも危ぶむ心もありません。
「因」とは、心で思うこととお聞きし、私を含めだれもが、悪因悪果の恐ろしい運命から逃れることはできないと強く知らされました。
そんな私の心を見抜かれたうえで、信楽にしてみせるとお誓いくださった阿弥陀仏の本願を、尊く素晴らしく仰がずにおれません。
悪果以外に受けようのない者を、絶対の幸福、摂取不捨の利益に救ってくだされるからこそ、不可思議な超世の悲願とも言われます。このような教えはほかに絶対ありません。心を見つめて聞法に身を沈めます。