(3) 高価な楽器が
いい音色を出してくれるのではない、
演奏者によるのだ
(Photo by TheAlieness GiselaGiardino23)
古今の名手ビテリーが、5000ドルのバイオリンをひく、というので、その日の演奏会は、たいへんな評判だった。
満場の拍手に迎えられ、ビテリーは、舞台に現れた。
「見ろ! あれが5000ドルのバイオリンだ!」
何千人の目は、いっせいに彼の持つ、バイオリンに注がれる。
やがて、演奏が始まった。
急調、緩調、なんともいえない美しい楽の音に、満堂の聴衆は、ただ恍惚たるばかり。
「まあ、なんていい音色でしょう」
「さすが、5000ドルの値うちはある」
「1度でいいから、あんなバイオリンをひいてみたい」
随所に感嘆の声は絶えない。
ところが、どうしたことか、第6曲なかばにして、突然、楽の音はピタと止まった。なんと思ったか彼は、いきなりバイオリンを、おもいっきりイスに投げつけたのである。
バイオリンは、微塵に砕かれた。
「お待ちください。どうぞ、お静かに」
総立ちになった聴衆に、こう言いながら、かわりのバイオリンを持って、舞台に現れたのは、その日の主催者である。
「いま、ビテリー君がたたき壊したのは、どこにでも売っている、1ドル60セントの安物です。
近ごろ、音楽界では、いたずらに楽器の高価を誇る傾向があります。そんな風潮を、最も憂いているのが、ビテリー君です。
“音楽の妙味は、楽器の高価にあらず、演奏者にある”
この平凡な真理を、彼は知ってもらいたかったのです。
これから使用するバイオリンこそ、5000ドルの品であります」
ふたたびそして、演奏が始まった。
拍手とアンコールの嵐は、前のとおりであったが、聴衆には、壊された安物と5000ドルのバイオリンの相違がどこにあるのか、まったくわからなかった、という。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)