(7)もうおまえは、
帰ってもよろしい
(Photo by *L*u*z*a)
イタリアの有名な音楽家のもとへ、1人の青年が、音楽の教授を求めて訪ねた。
「よしたほうがよかろう。音楽の道は、たいへんだから」
音楽家はキッパリと断る。
「必ず、どんな苦労でもいたしますから、ぜひ教えてください」
青年は必死にたのんだ。
どんな苦しいことがあっても一切、不足や小言は言わないという約束のうえで教授を許した。
それから青年は、その家に起居して炊事、洗濯、掃除など一切の家事の面倒をみて、その合間に音楽の教授を受けた。
はじめの1年は音階だけで終わった。2年目も同じく音階だけ。
3年目こそは、なにか変わった楽譜を、と期待していたが、いぜんとして音階だけで終わる。
4年目も音階だけであったので、たまりかねた青年は不足をならした。
「なにか変わった楽譜を教えてもらえないでしょうか」
師匠は一言のもとに叱りとばした。
5年目になって、半音階と低音使用法とを教えた。
その年の暮れ。
「もうおまえは、帰ってもよろしい。私の教えることは、すべて終わった。おまえは、いかなる人の前でうたっても、他人にひけをとることはなかろう」
と、免許皆伝したのである。
その青年はカファレリといい、イタリア第一の名歌手となった。
音階ぐらいと、ばかにしてはならない。それを5年間も魂を打ちこんで教授したのは、基礎が完成すれば、どんな難しい楽譜でも、自由自在にあやつることができるからである。
何事も基礎が肝要。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)