(9)矢は1本しかないと思え
一意専心
矢場に立った1人の男、2本の矢をたばさんで的に向かっている。
「おまえは、まだ初心じゃ。1本にしなさい」
そばで見ていた白髪の指南は、にべもなくこう言った。
弓を射るとき、諸矢(2本の矢)を持つのが通例である。
初心だから2本持つな、1本にしろとはどういうことか。
為損ずることの多い初心者だから、1本では無理だろう、2本持てというならわかるが、どうも腑におちない。
「はい、かしこまりました」
素直な男は、言われるままに1本を投げすてた。
“この一矢よりないのだ”
1本の矢に全精神を集中する。かくて彼は、みごとに的を貫いたのだ。
初心者に、にあわぬできばえと、満場の喝采をえたが、“1本にせよ”の老指南の意味は、どうにもわからない。
思案のすえ彼は、老先生を訪ねて教えをこうた。
笑みをたたえて老先生、こう答えたという。
「子細はない。ただ後の矢をたのみにするから、初めの矢に専心できないのだ。どうしても油断ができる。勝つも負けるも、ただこの一矢の覚悟がなくては、何十本の矢も、みなあだになるのじゃ」
“これがダメなら次がある”
の思いが専心を妨げるのである。熱中できるはずがない。
熱中といえばフランスの大学者ビュデ。
家事万端を妻にまかせて一意専心、勉学に没頭した。
「隣家が火事です。はやく、お逃げにならねば……」
と、書生が飛びこんだときも、
「すべて妻にまかせてあるから、家内に相談してくれ」
と、目もくれなかったという。
ばかのような話であるが、1つのことに魂を、そこまで打ちこみたいものである。
時空を超越して、一意専心、目的達成に熱中すれば、成就できぬ何事もないにちがいない。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)