(14)名を成す人
努力の結晶
(Photo by niigata-ryokou)
食い倒れの大阪で、有名なそば屋があった。
たいへん、商売熱心なその主人は、旅行などに出かけると、土地のそば屋へは必ず試食に出かける。
ついでに、その店で使っている材料や、しょうゆや、ダシなどを詳しくたずねて帰ってくる。
それらと、自分の店のとを比較研究して、日夜、美味への挑戦を、おこたらなかった。
あまりの評判を聞いて、ひどく興味をもったある人が、遠路もいとわず、この店を訪ねていった。
当の主人は、カウンター内に、姿勢正しく座っている。
ウエートレスたちは、できあがったそばを、お客へ運ぶ前に、必ず主人の所へ持ってゆき、1つ1つ味見してもらっているではないか。
それにまた主人は、実に真剣そのもので「よし」とか、「これはいけない」と、静かに裁断を下している。
自分の納得できない料理は、決してお客に出してはならぬという信条に、生きている。
この態度を見てその人は、なにによらず人が名を成すことは、決して、偶然や一朝一夕のことではないことを知らされ、頭が下がったという。
ある人が、有名な音楽家タルベルグに、ピアノの演奏の依頼にいった。
近日にせまった新曲発表を、ぜひ、成功させたかったからである。
ところが、タルベルグの返事は意外であった。
「申し訳ないが、練習する日がたりません」
「あなたほどの大家、4、5日もあれば、これくらいの歌曲は、わけないでしょう」
「いや、私は公開の席に出るには、1日50回、1カ月1500回以上の、練習をしなければ出演いたしません」
さすが達人の言というべきか。
大家でも、かかる信念に生きているのだ。
飲み、食い、眠り放題で、頭角を現そうとすることは、木に縁って魚を求めるに等しい、と言わねばならぬ。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)