(18)赤い椿の花は、
血の色ではない
なにも世の中、ビクビクすることはいらぬ
Photo by mrhayata
ある働き盛りのサラリーマンが、夜明け方、手洗いに起きて中庭へタンを吐いた。
それが真っ赤だったので、びっくり仰天。てっきり結核と思いこんだ彼は、ヘナヘナと、その場に座りこんでしまった。
いつまでも帰らぬ夫を案じて起きてきた妻が、それを見つけて、ようやく寝室まで連れもどし、頭に手をやると相当の熱だ。
さっそく、医者を呼ぶなどしての大騒ぎ。ワケをきいた妻が、よくよく庭へ出て確かめてみると、散った椿の花の上に、タンを吐いたことがわかった。
真相を話すと、たちまち熱は下がり、ケロリとした本人は、はりきって勤めにでかけた、という話がある。
もし事実がわからねば、本当の病人になっていたかもしれない。
なにも世の中、ビクビクすることはいらぬ。
地球でさえも昼と夜とがあり、月には新月もあれば、三日月も満月もあるではないか。
大海にも、満潮もあれば干潮もある。
栄枯盛衰は世のならい。使う金のないときは定期だから、期限がくるまで待てばよい。
不幸や逆境のドン底にたたきつけられたときは、大きな試練を受けているのだ。如来は私に、より以上のものを与えようとして訓練していなさるのだ、と思えば愉快ではないか。
順境に恵まれている温室の花より、寒風凜々たる逆境に鍛えあげられた花は、香りが高い。
降るもよし、照るもよし。つまらぬというのは、その人がつまらぬということだ。
魂の開眼こそ肝要である。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)