(19)お草履は手前のご主人
藤吉郎時代の秀吉
木下藤吉郎(秀吉)が織田信長の草履番頭であったのは21歳、信長は24歳であった。
前ぶれなしに、夜中でも明け方でも床をけって飛び出す、信長の草履あずかる仕事は、決して楽なものではなかったろう。
四六時中、信長の動静を注意深く見守り、とっさの外出に応ずるだけの態勢が必要であった。
信長がいつなんどき玄関へ飛び出しても、藤吉郎が信長の草履を懐にあたため、軒下に犬のようにうずくまっていた話は有名である。
初め信長は、藤吉郎のそろえた草履をはくと生あたたかいので、
「こやつ、主人のはきものに腰をかけておったな」
と大喝した。
“こやつは、役に立つか立たぬか”
信長は、常に人間の才能を試す心が非常に強かったから、本当は、そうは思っていなかったが、わざと叱って藤吉郎の返答を試したのである。藤吉郎は、ありのままに答える。
すると信長は、
「まだ、主人を言いたばかるかっ」
と、どなりつけて、小姓に命じて藤吉郎の懐をさぐらせると、外ぶところにはなにもなかったが、内ぶところから土砂が出てきた。
「まこと、そちゃ、草履を抱きおったな」
と、ニヤリとする信長に藤吉郎は、こういって頭を下げている。
「はい、お草履は手前のご主人、お風邪を召しては大変と存じまして……」
人は、大阪城に天下を睥睨する太閤秀吉を知っても、厳冬の軒下に犬のようにうずくまっていた藤吉郎を忘れがちである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)