(25)有頂天から始まる地獄
久米の仙人が落ちたわけ
大和の国に、久米寺という古い寺がある。次のような因縁が『徒然草』に記されている。
昔、久米という仙人が雲に乗って、大空を自在に飛び回っていた。
飛行機もない時代だから、さぞかし愉快なことであったろう。
ある日の昼さがり、得意満面の彼は、雲間から下界を見おろした。
広い大和平野に、一条の川が静かに流れている。
その川に天女を思わせるきれいな娘が、だれに見られる心配もない気楽さから、おもいきり腰巻をまくりあげ、内股広げて、鼻唄まじりで陽気に洗濯しているのを、見てしまったのだ。
相当の修行を積んでいた仙人ではあったが、こんな、なまめかしい姿態をみてはたまらない。
ついムラムラと、出してはならぬ妄念がわきあがった。
と同時に、たちまち神通力を失って、ドスンと雲間から転落して、二度と空を飛ぶことができなくなった。
仙人はそこに寺を造り、仏道修行に打ちこんだという。これが久米寺の伝説である。
いくら仙人といっても、人間が雲に乗って自在に空が飛べるはずがない。
これは慢心をあらわしたものであろう。
慢心ほど危険なものはない。オレはもう仙人のさとりを開いているのだ、おまえらはなんだと、他を見さげる心。
オレは金持ちじゃ、財産家じゃ、博士じゃ、学者じゃ、社長じゃ、会長じゃ、美人じゃと、他人を見下し、ばかにする。
敗戦前の日本もそうだった。神国日本は世界の盟主とうぬぼれ、外国を併呑して、その主になろうとした。
その結果は惨敗で、地獄に墜落したことは、天下周知の事実である。人は山のてっぺんに登ることはできるが、そこに永く住むことはできない。
地獄は有頂天から始まることを、ユメ忘れてはなるまい。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)