(26)悲願に生きる
     ジェンナーと天然痘

光に向かって100の花束


(Photo by NathanF)

 種痘といえば、ジェンナー。
 有名である。
 エドワード・ジェンナーは、最初、博物学に興味をもち、鳥類の研究に没頭していた。
 ところがそのころ、多くの人々を苦しめている天然痘を見聞して、なんとかこれら苦悩の人々を救いたいという、一大悲願を抱くようになった。
 彼はまず、牛乳をしぼる人たちが、牛の天然痘に感染していったん癒えると、以後、決して人間の痘瘡にはかからないという経験談に、強い興味と興奮をおぼえる。
 それからというもの、細心の注意で経験談を集め、確かめることに尽力した。
 その後、ロンドンに出て、名医ハンターに師事して意見を求めると、
「まじめに、おおいに試みよ」
と激励される。
 ジェンナーは、いっそう周到に、幾度も実験し、考察し、ますます自信を深めていった。
 よく知られる、みずからの予防法を、わが子に試みたというのは、その間のエピソードである。
 また、サラーネルメスという、牛痘に感染した乳しぼりの女の手から膿をとり、これをヒップスという8歳の児童の腕に植えもした。
 1796年5月14日。これが現代種痘法の最初といわれる。
 盤石の基礎をえた彼が、所信を、ひとたび世界に発表するや、激しい毀誉褒貶が巻きおこった。
“牛痘を植えると角が生える”などの、笑止な反対運動にもみまわれる。
 しかし、これらの反対に、根気よく戦い、人類社会の福祉増進に彼は、骨身惜しまず努力した。
 19世紀だけでも全世界で、数千万の人々が、このいまわしい病苦から救われている。
 1979年、世界保健機関(WHO)は、ついに天然痘根絶を宣言した。

 史上に残る鴻業を樹立し、世界の恩人と仰がれる人たちは、みな崇高な悲願と、たゆまぬ努力で、イバラの道を開いたのである。

高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)

 

 

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