(29)他人の長所は、
少しでも早くほめよ
清正、深夜の急用
一睨すれば猛虎も退散したという豪将の加藤清正は、威あって猛からずの柔和な有徳人であったから、部下は慈父のように慕った。
その清正の長雪隠は有名である。
ある真夜中、熊本城の便所の中から、しきりに人を呼ぶ。
「なにか、ご用であられまするか」
小姓がかしこまって、伺いをたてた。
「急ぎの用を思い出した、庄林隼人を呼びにやれ」
庄林隼人は風邪の熱で伏していたが、何用かと、使者と同道、登城した。
まだ、便所の中にいた清正は、
「汝を呼んだのは余の儀にあらず。汝の家来に年中、茜染め一重のチャンチャンコを着ている20歳前後の若者、あれの名はなんと申すぞ」
「ああ、あれは草履取りの出来助という者でございますが……」
「うん、そちも覚えているじゃろう。そら、川尻へ芝居能を皆で見物にいったときに、あの若者が葦の茂みで前をまくり、小便をしとるところをみたのじゃ」
「御前をもはばからず、そのような不謹慎をつかまつりましょうとは」
庄林は悪寒にふるえながら、しきりに出来助の過ちをとりなした。
「あたりに便所がなければ、物かげへ寄って用足しするのはあたりまえじゃ、不謹慎もなにもありゃせん」
「はっ」
「そのときに、ふと見るとどうじゃ。その若者は小袖の下に鎖帷子を着け、脚絆のかわりに脛当をあてているではないか。戦乱もおさまり、上下とも武備をおこたる当節に、治にいて乱を忘れぬ心がけは、あっぱれ至極じゃ。すんでのところで彼のことを忘れてしまうところであった。いま長雪隠のつれづれに、そのときのことを思い出した。かくいううちにも死んだら、だれが彼を引き立てようぞ。してみれば明日も待てぬ、いや便所のすむまでも待てぬ。深夜、そちには、きのどくであったが呼び出した。出来助とやらに語り聞かせて、かわいがってやれよ」
庄林隼人は頭痛もどこへやら、主君の温情に感泣して下城した。
出来助が、草履番から一躍60石の士分に取り立てられたのは、それから3日後であった。ありがたさ骨髄に徹した彼は、いよいよ誠実に精励したことは言うまでもない。
「その慈悲、仏のごとし。日本中の好人なり」
と、朝鮮の王から慕われたのも、うなずけることであろう。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)