(33) ああ、おれも子供に門番にさせられることがあるのか
バラナ国の悪法
昔、インドのバラナ国に悪法があった。
男が60歳になると、子供から1枚の敷物をもらって、その家の門番にならねばならぬというのである。
その国に、女房に早く死に別れ、極貧の中を男手一つで、二人の子供を育てあげた男がいた。
もう彼も、60歳である。
まるで、ひとりで成長したように思っている長男は、〝敷物を探して父に与え、門番にせよ〟と弟に言いつけた。
孝行な次男は、とほうにくれたが、物置小屋から1枚の敷物を探し出し、それを二つに切った。
「お父さん。まことに申し訳ありませんが、兄さんの言いつけです。今日から家の門番になってもらわねばなりません」
あふれる涙を押さえながら、その1枚を父に与えた。
「おまえはなぜ、その敷物全部を与えないのか」
兄は弟のやることが、どうも腑におちない。
「兄さん、家にはそんなたくさん敷物はありません。たった1枚しかないものを、全部お父さんに使ったら、後でいるようになったら困るじゃありませんか」
「後で必要なときに困る?そんな物、だれが使うのかい」
兄は、ますます不審に思う。
「だれでも、いつまでも若いのではないのです。もう1枚は兄さんの分ですよ」
「なに!おれがそんなものを、使うことがあるというのか」
「それは兄さんが60になったときです。敷物がなかったら、兄さんの子供が困るじゃありませんか」
「ああ、おれも子供に、門番にさせられることがあるのか」
がくぜんとして非道に気づいた兄は、弟とともに立ちあがり、この悪法打破に成功したという。
「今日は他人の身、明日はわが身」
といわれても、よもやよもやとうぬぼれて、我々は確実な未来さえも、知ることができないのである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)