(36)ミッドウェーで優勢であった日本艦隊が、なぜ敗れたのか
勝者を滅ぼすもの
太平洋戦争の劇的なターニング・ポイントとなったミッドウェー海戦。
戦力も戦局も、歴然と優勢であった日本艦隊が、なぜ大敗を喫したのか。
開戦から6ヵ月後の昭和17年6月5日のことである。
ミッドウェー海戦に投入した日本の戦力は、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の正規空母4隻と、戦艦2隻をはじめとして、重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻を随伴するバランスのとれた陣容だった。
対する米機動部隊は、空母3隻のうち、まともな航空部隊を擁していたのは「エンタープライズ」だけ。「ホーネット」の飛行隊は新編成ホヤホヤ。「ヨークタウン」などは、1ヵ月前に被弾大破し、突貫修理での再出撃だった。
随伴する艦隊にしても重巡7隻、軽巡1隻、駆逐艦17隻と、数はそろっていても戦艦がふくまれていなかったし、共同作戦行動をした経験もなかった。
航空機をくらべても、日本側が285機に対し米側は233機。性能の優劣も判然としている。
にもかかわらず日本は、主力空母4隻と搭載機285機のすべてを喪失し、戦局を逆転させることになったのだ。
アメリカの戦史作家ウォルター・ロードは、ミッドウェー海戦記に「信じられぬ勝利」というタイトルをつけたほどである。
なぜ、日本が敗れたのか。
山本五十六大将の連合艦隊は、ハワイ攻撃以来、インド洋、ジャワ、オーストラリアへの連戦連勝で、無敵と自負するまでになっていた。
開戦劈頭のハワイ作戦やフィリピン作戦までは、慎重に慎重を重ねて作戦をねり、訓練も徹底的にやった。
常勝がついつい、その緊張感を弛緩させたのである。
〝勝者を滅ぼすものは外敵にあらず、内なる慢心である〟
歴史の教訓を忘れた日本海軍は、慢心の落とし穴に、はまってしまったのである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)