(47)二十四度殺された老婆
口は禍の門
丹波の国(京都府)に、120歳をこえた老婆がいた。
ある人が、老婆を訪ねてきいた。
「長い一生にはどんなにか、珍しいことや、おもしろいことがあったでしょう。その思い出の一つをきかせてくださらんか」
老婆は、首を横にふりふり答えた。
「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた」
120歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、
「それでもなにか一つぐらい、思い出がおありにならんか」
再度、たずねた。
「そんなにまで言われれば、話そうか。24度殺された、つらい思い出だけは、あるわいな」
しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。
現に生きている人が、24度殺されたとは、いったい、どんなことか、とたずねると、ポツリポツリと老婆は語り始めた。
「この年になるまで私は、たくさんの子供を産み、多くの孫ができ、ひ孫もできた。ところが老少不定のならいで、子供が先立ち、孫が死に、ひ孫が死んで、内より24人の葬式を出した。
そのたびに、悔やみにくる人たちは、私の前では言わんが、隣の部屋で〝ここの婆さんとかわっておればよかったのに〟と言っているのが聞こえてくる。他人さまは、まだ遠慮して陰で言っとるが、孫やひ孫は面前で言いよる。そのたびに、私は殺されたんじゃ」
しみじみと、老婆は物語るのであった。
『口は禍の門』といわれるが、自覚のないところで我々は、どれだけの人を傷つけ殺していることか。
三思三省させられることである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)