(48)バカ……だなぁ、私は
チエの回転
セールスマンが、ある家を訪ねた。
「あの、奥さんは、ご在宅でしょうか」
めんどうくさそうに玄関に現れた奥さんは、ツンとした顔で答える。
「なにか、ご用ですか」
「はぁ、奥さんはお留守でしょうか」
いよいよ、ごきげんななめとなった奥さん、ぶっきらぼうに言う。
「私が家内ですよ。なにかご用」
「えっ、あなたが奥さま」
ペコペコ頭をさげてセールスマンは、カタログを見せながら話しかける。
「まあ、そうでございましたか。失礼いたしました。
実は奥さまが、あまりにお若く、お美しくいらっしゃるんで私、てっきりお嬢さまだとばかり、かんちがいしたものですから、なんとも申し訳ございません」
うぬぼれ強い人間は、ミエミエのおじょうずにでも、いちコロだ。
この一言で子供のように、ガラリと態度は大変わり。
「おほ……まあ、お口のうまいこと。そしてそれはなんですの?なにかいるものあるかしら、一度見せてちょうだい」
小雨のち晴というところだ。
たくみに女性心理の機微をとらえた、セールスマンのチエの勝利であろう。
人生には、次のような機転も大切だ。
店長にある晩、廊下の曲がり角でドンとぶつかってきた者がいる。
店員の失敗を叱るいつものクセで、〝ばか〟と、どなってから気がついた。
社長ではないか。
あわてて口へ手をやり、
「……だなぁ、私は。社長お休みなさいませ」
と、ふかぶかと頭を下げた。
「ああ、店長か」
店長の機転に社長も、怒るに怒られず、ニガ笑いして通りすぎたという。
人を、ばか呼ばわりすることは、つつしまねばならないが、とっさのときでも、これくらいの、頭の回転がほしいものである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)