(55)工夫とねばりが大切。
何事も早く見切りをつけてはならない
京都の大橋宗桂は、生来、将棋に堪能だった。
江戸に下って、将軍家の御前で、本因坊算砂を撃ち破り、当代一の栄冠を勝ちとったときのことである。
一手また一手、指し進むうちに、次々とくりだす算砂の妙手に、宗桂の敗色は、だれの目にも歴然と思われた。
〝いつ宗桂が駒を投げるか〟
家康も、かたずをのんで見守っている。
宗桂はしかし、そのまま、じっと考えに沈んでしまった。
一刻、二刻たっても、まだ彼は、黙然と腕組みをして動かない。
退屈になって家康は、一時席を立ち、入浴などして帰ってみても、いぜんとして宗桂は不動だった。
「あとは明日、指しついだらよかろう」
たまりかねた家康は、こう命じて、立ちあがろうとする。
「おそれながら、いましばらく」
盤面を注視したまま宗桂は、泰然と引きとめた。
やがてそしてスラスラと、30手ほど指し進めた絶妙手に、さすがの本因坊算砂も、無念の涙をのまざるをえなかったのである。
「天下のことも同じこと。何事も早く、見切りをつけてはならぬということだ。工夫とねばりの大切さ。よいことを教えてくれたぞ」
感嘆した家康は、こう宗桂を称賛し、50石五人扶持を与え、幕府の将棋所をつかさどらせている。
「もう一息が乗りきれず、立派な仕事をメチャメチャにする者が、いかに多いことか」
アメリカの鉄道王、ハリマンも嘆いている。
一塊の石炭も、永年地中に辛抱したればこそ、ついにダイヤモンドと輝くのだ。いわんや人生究極の、本懐成就をもくろむ者に、2、30年の辛抱がなんだろう。
何事にしろ、真の栄光を獲得するには、永年の工夫と、執念と忍耐が、必須条件なのである。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)